パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内
vol.1 僕が『イル・ゴロザリオ』を作った理由
Text by Paolo Massobrio
translation by Motoko Iwasaki
田舎の食料品店に魅せられて
僕のガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)※本文末で説明』の話をする前に、まずは僕の故郷の話をしたい。
トリノとミラノの中間に位置するモンフェッラート地域のMasio(マズィオ)という村が僕の田舎だ。祖父のパオロはこの村の肉屋だった。叔父ヴィジーノはパン屋を営んでいたし、大叔母のマリアは搾りたての牛乳を売っていた。ヴィジーノの弟はアレッサンドリアの町で菓子屋を営んでいて、従弟のカルロは農夫だった。
その嫁のフランカは、アッバツィア・ディ・マズィオという地区にある食料品店を経営していたが、それはマズィオで別の叔母ジーナが切り盛りする店によく似ていた。僕の祖母のアンジョリーナはワイン生産者だった。因みに、彼女はジャコモ・ボローニャがいたロッケッタ・ターナロ村に向かう道路沿いに住んでいた。ジャコモ・ボローニャと言えば、1982年にバルベラ・ダスティの偉大なワイン「Bricco dell’Uccellone (ブリッコ・デル・ウッチェッローネ)」を生んだ人だ。
僕はそんな地域の出身で、食料品店の魅力に惹かれながら成長した。夜のうちに焼かれるパン、牛乳、ワインといった香り、農家や食料品店の棚に並ぶ雑多なものに取り巻かれて。
時を経て僕はジャーナリストになった。日刊紙に執筆し、出版社で采配を振れば、テレビに出演もするし、WebやSNSで現代の食を紐解く新語を探したりするようにもなった。
ある時、田舎に戻って村の最後の食料品店がほどなく閉店することを耳にした。
心配になり、売却の張り紙がされた店の近くに住む85歳になる叔母のところに行って今後買い物はどうするのかと聞くと、叔母は僕の予想に反し、
「あの店にはもう何年も行っちゃいないよ。他より高いからね。必要な時は近くにディスカウント・チェーン店があって誰かしらが車で連れてってくれるのさ。あそこは安い」と答えた。 ここで初めて、村の最後の食料品店の経営が持ちこたえられなかった理由を理解した。
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